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松山善三の妻は大女優の高峰秀子…二人の子どもと意外な結婚生活とは?自宅と晩年の画像アリ

公開日: : 最終更新日:2016/09/15 芸能・ドラマ, 訃報 , , , ,

 

映画監督であり、脚本家であった松山善三さんが8月27日に亡くなられた…という報道がありました。

91歳というご高齢で、老衰とのことでしたので、安らかな最後だったと思います。

松山善三さんの奥さんは高峰秀子さんで、とても美しい女優さんでした。

高峰秀子さんはすでに他界されていますが、松山善三さんと奥さんである高峰秀子さん、そしてお二人の結婚生活についてまとめました。


松山善三のプロフィール

 

生年月日:1925年4月3日~2016年8月27日

出生:兵庫県

育ったのは神奈川県横浜市。

岩手医学専門学校(現在の岩手医科大学)に入学するも1946年に中退します。

その後、アルバイト先の雑誌社で脚本家と知り合いになって映画に興味を持つようになりました。

1948年に助監督公募に合格して、松竹の大船撮影所に入社。

その後木下恵介監督のもとについて活動、1954年の時に映画「荒城の月」で脚本家デビューしました。

1961年に「名もなく貧しく美しく」で監督デビューをします。

その後「ふたりのイーダ」や「典子は、今」といった話題作の監督を務め、同時に脚本家としても活躍しました。

生涯で1000本を超える脚本を書かれたそうですよ。

 

高峰秀子のプロフィール

1952年

引用:http://laughy.jp/1425617663438143151

こちらは1952年の「稲妻」の時の高峰秀子さん。

28歳ですが、すっごくかわいくないですか??

だってこの当時はカラコンもつけまも整形もない時代ですよ??

本名:松山秀子(旧姓平山)

生年月日:1924年3月27日~2010年12月28日

出身:北海道

身長:158㎝

ご実家は祖父が経営する「マルヒラ砂場」という蕎麦屋料亭だったそうです。

おじいさまはそのほかにも「マルヒラ劇場」や「マルヒラカフェ」など複数経営していて、お嬢様だったようですね。

ご兄弟は兄が3人、弟が1人いたようです。

4歳の時に高峰秀子さんのお母様が結核でなくなり、東京の叔母の志げ(父親の妹)のもとに養女としてもらわれていきます。

そして養父に連れられて1929年の9月に養父に連れられて蒲田撮影所に見学に行きましたが、その時にちょうど子役オーディションが行われていたそうです。

養父がどうやら半分無理やり、オーディションの列の最後に並ばせて、飛び入り参加をしたらしいですが、監督の目に留まり、図らずもがなヒロインの娘役に選ばれました。

そこで子役デビューをして、その後は天才子役として活躍しました。

時には男の子の役もしていたそうですよ。

7歳

引用:http://laughy.jp/1425617663438143151

こちらは当時7歳の時の高峰秀子さん。

何の役??(;´・ω・)

そして蒲田の小学校に入学しましたが、撮影が深夜に及ぶことも多く、学校にはほとんど通えなかったそうです。

高峰秀子さんは子役の時から、いろんな方に気に入られていたようで、一時は歌手の東海林太郎の養女になったこともあるようです。

その後、12歳くらいの時には、破産した祖父一家が高峰秀子さんを頼って上京してきて、高峰秀子さんは9人の生活を支えていたそうです。

14歳の頃には東宝映画に移籍して、ますます売れっ子として活躍します。

戦後も様々な映画に出演しますが、中でも有名なのは1949年後悔の「銀座カンカン娘」。

主題歌も歌っていましたが、これは42万枚を売り上げる大ヒットとなりました。

今の感覚から言うと42万枚って大したことない気がしますが、当時レコードのプレイヤーをもっている人は少なく、また戦後すぐというお金も物資もない状況の時です。

そう考えると42万枚という枚数は、驚愕の数字だということがわかります。

1952年にはフリーに転身しますが、かの有名な木下恵介監督の「二十四の瞳」にも出演しています。

1979年の「衝動殺人 息子よ」に出演を最後に女優業は引退、その後はエッセイストとして活躍します。

55歳で引退するまでに出演した映画の数はなんと319本!

日本映画界最多の賞を受賞して、日本映画史を変えた昭和の大女優とまで言われるゆえんです。

引退後は時には松山善三さんの映画の助監督を務めたり、脚本を書いたりもしていたそうです。

 

骨董品集めが趣味だったそうで、鑑定士の中島誠之助さん(「なんでも鑑定団」で「いい仕事してますね」と言っていたおひげのおじさまです)も「姐さん」と呼ぶ仲だったそうです。

一緒に骨董屋を開いていたこともあるそうですよ。

また、晩年は芸能界との交流はほとんどなく、ひっそりと生活していたそうです。

死因は肺がんとのことですが、高峰秀子さんは大の愛煙家でその影響が大きかったのでは…と言われています。



 

二人の結婚生活と自宅画像

1955年3月26日に松山善三さんと高峰秀子さんは結婚しました。

松山善三さんは当時納屋住まいだったという話もあり、給料は1万4千円、高峰秀子さんに比べて格段に低く、当時は「釣り合わない」とマスコミに騒ぎ立てられました。

格差婚ですね。

 

当時松山善三さんは「二十四の瞳」の木下監督の助監督をしていたらしく、その撮影の時に出会ったそうです。

松山善三さんが高峰秀子さんを好きになり、映画のロケの終わりころに木下監督に相談します。

木下監督も最初は「オイオイ無理でしょ」と思ったようですが、松山善三さんの気持ちを高峰秀子さんに伝えます。

しかし、やっぱり思い直して、次の日に木下監督は松山善三さんの話はきかなかったことにしてくれ…と高峰秀子さんに言いますが、高峰秀子さんは「いいえ、お付き合いさせていただきます」とおっしゃったそうで。

まだ芸能界にそれほど染まっていない、松山善三さんの素朴で実直な人柄が、高峰秀子さんの心に響いたのかもしれませんね。

 

二人の仲人は三人いましたが、木下恵介監督も仲人の一人でした。

この木下恵介監督が二人の結婚記者会見を開いたのですが、それが芸能人の結婚記者会見の先駆けだったんですって。

最近ではDAIGOと北川景子さんも久しぶりの芸能人結婚記者会見を開いて話題を呼んでいましたね。

(関連記事:【画像あり】DAIGO&北川景子結婚式!美しいウェディングドレス&お色直しは2回!出席者は誰?

 

お住まいは麻布十番でしたが、大女優と映画監督の住まいというには、質素だったようです。

(結婚当初は洋館のような豪華なお住まいだったみたいですが、その後二人で小さなおうちにうつったようです)

 

そして、高峰秀子さんは夫である松山善三さんに心底惚れていたそうです。

松山善三さんの食事はしっかり作るのに、自分ひとりの時はラーメンを作って鍋から直接食べていた…なんてエピソードまでありました。

料理上手だったようで、レシピ本も出版していますね。
 

 

家が質素とご紹介しましたが、松山善三さんの服も色あせたら染め直したり、ボタンを付け替えたりしていて、ひと手間加えて利用していたようです。

その当時の一般の人がみんな憧れるような大女優だったそうですが、芸能界という華やかな世界で生きながら生活は質素で落ち着いたものだったとは意外です。

家も自分の好みのものしか置いておらず、整理整頓の行き届いたおうちだったそうですよ。

こちらがお二人のおうちの玄関。

玄関

引用:http://getnews.jp/archives/899340

確かに広くはない感じですが、おいてある小物の一つ一つにセンスを感じます。

 

養母を憎んでいた?

高峰秀子さんはどうやら、養母志げさんと確執があったようです。

それというのも、養母志げさんは5歳の時から高峰秀子さんが稼いでいた莫大なお金のほとんどを使っていたそうなんですね。

しかも高峰秀子さんを頼って上京してきた祖父一家の生活を一人で支えてきました。

 

実は物心ついてから、女優業は自分に合わない、やめたい…と高峰秀子さんは感じていたそうですが、親族を養うためにやめることもままならなかったといいます。

学校に行くこともできずに、幼いながらも必死に親族の生活を支えてきたその半生はどんなにつらいものだったでしょうか。

高峰秀子さんの映画の出演料は当時1本で100万円と言われていて、今のお金に換算すると年に10億は稼いでいたといいます。

当時の吉田茂首相の給料が4万円というので、破格の給料であることがわかりますが、そのほとんどを養母志げさんと親族に使われ続けたといいます。

高峰秀子さんが松山善三さんと結婚して、ようやく自由の身になれたときには、手元にはわずか4万円しか残っていなかったといいます。

親兄弟、肉親という言葉を聞いただけで、裸足で逃げ出したくなる

引用:http://www.wjwn.org/views/article.php?NUM=V-0408

 

高峰秀子さんが松山善三さんに心底惚れていた…というエピソードはすごく納得ができます。

物心ついてからすぐに働かせられて自由がなかった高峰秀子さんにとって、松山善三さんとの結婚生活は真の安らぎが得られたものだったんじゃないでしょうか。

肉親の愛情というものをほとんど感じたことのない高峰秀子さんは、きっとささやかでも幸せな家庭に憧れていたんじゃないでしょうか。

本当の幸せがなんであるか分かっていたため、質素でありながらご自分の好きなものに囲まれて暮らす…という生活スタイルに至ったのではないかと個人的には思います。

晩年

引用:http://salitote.jp/wordpress/wp-content/uploads/2011/01/IMG_0003.jpg

高峰 晩年

引用:http://www.wjwn.org/views/article.php?NUM=V-0408

晩年のお姿も美しい…!!!

こんな上品で美しい方って見たことありません。

みんなのあこがれだった…というエピソードが決して大げさなものではないことが、よくわかりますね。

お二人はとても仲が良く、まさに生涯の伴侶同士だったそうです。



 

 

二人の子供は?

とても仲の良かった松山善三さんと高峰秀子さんですが、お二人に子どもはいませんでした。

ただ、養女を迎えていますが、その方はライターの斎藤明美さん。

お二人を「とうちゃん」「かあちゃん」と呼んで、慕っていたそうです。

斎藤明美さんが養女になったのは、高峰秀子さんが85歳の時。

本当に晩年の時だったんですね。

斎藤明美さん自身、

血縁に苦しめられ続けた高峰が、最晩年になぜ一介の記者として知り合った私を自らの血縁にしたのか。

残る人生、私はその重みを忘れることなく生きていかねばならないと思っている。

引用:http://www.wjwn.org/views/article.php?NUM=V-0408

このように語っています。

 

斎藤明美さんに高峰秀子さんは「神様が松山にめぐり逢わせてくれたのだ」とおっしゃっていたそうです。

養女

 

引用:http://www.wjwn.org/views/article.php?NUM=V-0408

斎藤明美さんはなんとなくお二人に顔が似ている気がします!

血縁以上のきずなってあるんですね。

 

まとめ

「運命の赤い糸」や「運命の人」といった表現がありますが、松山善三さんと高峰秀子さんがまさにそうだったのではないでしょうか。

松山善三さんはあの世で高峰秀子さんに会えたでしょうか。

お二人の冥福をお祈りいたします。

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読んでくださってありがとうございました。

 


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