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三笠宮崇仁様ご薨去…死因は?百合子殿下との絆と婚礼画像について…

 

父親が大正天皇であり、昭和天皇の末の弟であらせられる三笠宮崇仁親王殿下が、10月27日にご薨去という報道がありました。

※薨去とは皇族のうち、皇太子や親王、内親王がお亡くなりになった際に使われる言葉です。

享年100歳という年齢で、明治以降の皇室では最高齢でいらっしゃいました。

百合子殿下とともに、ご高齢でありながら、公の場で元気な姿を見せてくださっていました。

三笠宮殿下は肺炎で入院していたという情報もあり、直接の死因も気になります。

百合子殿下とのご婚礼写真、そしてお二人の絆についてもご紹介したいと思います。


三笠宮崇仁親王について

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引用:http://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/4974573.html

生年月日:1915年12月2日生まれ

出生:東京都

学習院初等科・中等科卒。

陸軍士官学校、陸軍大学校卒業。

大正天皇と貞明ら皇后の4番目の皇男子として誕生されました。

一番上の兄である皇太子裕仁親王から14歳離れた末っ子だったため、手元で育てたいという両陛下の意向により、御所で育てられたそうです。

1935年、成人した時に貴族院議員となり、以降11年間の間、議員職を務めました。

1941年10月22日、高木百合子(子爵高木正得の次女)と結婚。

お二人の間には、5人の子供が生まれました。

戦後の1947年には東京大学文学部の研究生となって、歴史学を学びます。

1955年には東京女子大学で講師として着任。

日本オリエント学会の会長も務められていました。

 

三笠宮崇仁親王の家族と家系図

こちらが三笠宮親王殿下の家系図です。

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引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%AC%A0%E5%AE%AE%E5%B4%87%E4%BB%81%E8%A6%AA%E7%8E%8B

百合子殿下との間には、5人の子どもがいらっしゃいます。

近衛甯子(甯子内親王)、寬仁親王、桂宮宜仁親王、千容子(容子内親王)、高円宮憲仁親王。

そして孫は9人、ひ孫は4人いらっしゃいます。

 



 

三笠宮殿下の死因は?肺炎で入院していた?

三笠宮崇仁様は2016年5月16日に、急性肺炎のため聖路加国際病院に入院されていたことがわかっています。

当時は重篤な様子もなく、意識もはっきりしていたそうですが、1か月後には肺炎は収まりました。

しかし、年齢が年齢だけに、心機能の低下が少し見られたため、大事をとって、1ヶ月たっても入院を継続されていました。

入院当時は、ベットの上で手足を動かしたり、車いすに乗ったりして、活動的に過ごされていたようです。

また、6月に天皇両陛下がお見舞いに行かれた際も、宮さまはお元気な様子でお話をされていたそうです。

実は三笠宮様は、2012年7月11日に、僧帽弁形成術という心臓手術を受けられています。

当時96歳でしたが、経過も良好で、病状も安定していたといいます。

始めは過労で6月に入院したそうですが、腱索断裂による僧帽弁閉鎖不全症のために心機能が低下してうっ血性心不全と診断。

薬や点滴では治らず、危険な状態だったといいます。

96歳というご高齢で手術というのは、身体にかなりの負担がかかったと思いますが、三笠宮様が元気で体力があったため、手術が可能だったそうです。

当時ご高齢でありながら、手術という試練を乗り越えた三笠宮様に、当時称賛の声が上がっていました。

それから約4年…。

肺炎による心機能低下が緩やかに起こっており、集中治療室と一般病棟を行き来していましたが、退院することなく10月27日にご逝去されました。

死因は心不全とのことです。

 

百合子殿下との結婚式の画像とお二人の絆

そしてこちらは貴重な三笠宮崇仁親王と百合子殿下が結婚した際のお写真。

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引用:http://blogs.yahoo.co.jp/meiniacc/43933818.html

三笠宮崇仁親王殿下は、折に触れ百合子殿下への感謝の念を口にされていました。

三笠宮崇仁親王殿下は戦時中は中国の南京に赴任して、留守を預かっていたのは百合子殿下。

百合子殿下も華族出身であったものの、皇族の生活の厳しさは言うまでもなく、苦労をされたようです。

そして戦後も、新しく創設されたばかりの三笠宮家は、ほかの皇族よりも経済的に苦しく、屋敷も空襲で全焼、そんな苦しい時に三笠宮崇仁親王殿下を支えてくれたのは、百合子殿下であったといいます。

また、三笠宮崇仁親王殿下が東大文学部で勉強をされた時も、百合子殿下は陰でサポートをされていたそうですよ。

なんでも授業に出られなかったときに借りた友人のノートを、三笠宮崇仁親王殿下の代わりにノートに書き写してくれていたとか…。

その後も、史学者として活動する三笠宮崇仁親王殿下の傍らで公務をこなしながら、5人のお子様を育て上げた百合子殿下を、三笠宮崇仁親王殿下は感謝の気持ちを述べられています。

百合子殿下も「いつもいたわってくださった宮様」とおっしゃっていて、お二人の絆の強さが、諸所で垣間見えました。

 

三笠宮殿下が100歳までお元気な姿でいられたのには、百合子殿下と一緒に行われていた健康法のおかげもあるようですよ。



 

三笠宮親王殿下の健康維持法

明治以降の皇室の中では最高齢という年齢を誇った三笠宮様。

日ごろから健康維持に励んでいたそうです。

 

100歳になっても、長年連れ添った百合子殿下とともに、仲良く散策が見られました。

そしてお二人は、健康維持のために毎日30分ほど体操をしていたそうです。

その内容はリハビリ体操やダンベル運動…ダンベル持ち上げることができるって素晴らしいですね…。

足が弱くなっていたため、普段は車いすでの移動でしたが、時には廊下を杖を使って歩くこともあったそうです。

皇族の中では最年長者であったため、時に「三笠長老」という敬称でも知られていました。

百合子殿下もご高齢でありながら、常に三笠宮崇仁親王殿下のそばに付き添い続けていらっしゃいました。

今、一番悲しんでおられるのは、ほかならぬ百合子殿下であることは間違いないでしょう…。

 

最後に、三笠宮殿下が昨年の12月2日に100歳のお誕生日を迎えられた際におっしゃっていた言葉を、ご紹介させていただきます。

100歳を迎えるからといって、これまでと何ら変わることはありません。世界中の人々の幸せを願い、また、70年以上にもわたり私を支えてくれている妻百合子に感謝しつつ、楽しく穏やかな日々を過ごしていきたいと思います

引用:http://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/4974573.html

読んでくださってありがとうございました。

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