こんにちは!
管理人のしのっちです。
ワタクシはスピリチュアルのお話とか結構好きですが、現在は脱スピしちゃいました。
もちろん精神性の向上とか、人の思い込みの心理とかにはいまだに興味津々なので、個別に勉強しています。
でも、
- 何かのスピに傾倒する
- 誰かスピリチュアルリーダーについていく
ということはしません。
もともと誰かに傾倒はしてませんでしたが、さらに最近は、現状のスピ界を冷ややかな目で見てるかもしれません。
この記事で書くスピリチュアルとは、「精神世界」という意味ではなく、「巷のスピリチュアル業界」のことです。
脱スピした理由は、
- スピリチュアルがビジネスみたいになってる
- スピリチュアルリーダーの教えを忠実に守ると、現実世界から分離していく
そんな危険性があるからです。
ということで、この記事では、
私が感じたスピリチュアルの闇
つまり陰陽の陰の部分を紹介します。
もし
- スピリチュアルが好きだけど、最近、違和感を感じる
- あるスピリーダーを信じてるけど、なんか苦しい
- スピリチュアルジプシーになってる
そんな方は、ぜひ今回の記事をお読みください。
スピリチュアル界で言われている
他人に迷惑をかけてもいい
この世は自分一人
ワクワクすることをしよう
という教え(?)を中心に言及していきます!
「他人に迷惑をかけてもいい」の罠
スピリチュアルの世界では、
「この世に良いも悪いもない」
と言われています。
つまり、他人に迷惑をかけるのも、悪いことじゃないって考え方です。
日本人は「自己責任」「他人に迷惑をかけてはいけない」という風潮なので、とにかく自分で何とかしよう…という人が多いです。
でも、そんな風潮に対して、
他人に甘える大切さ
自分が追いつめられたときに、ヘルプを出せる大切さ
これをスピリチュアルの世界では教えてくれてるんですね。
人はお互い助け合って生きてますから、自分一人で頑張りすぎなくてもいいんです。
世の中には無理しすぎる方が多いので、これは私も納得です。
ただこれって
他人に迷惑をかけるのは当たり前
他人の手を借りるのは当たり前
って考え方とはちょっと違うんですよね…。
ここを結構勘違いしているスピリーダーさんも多い気がします。
「ありのままの私でいい」
「できない私でもいい」
それは当然なのですが、
「私ができないことは、ほかの人がやってくれる。」
って考え方になると、ある一線を踏み越えていることがわかりますか?
つまりこの「他人に迷惑をかけてもいい」って、
「自分はやらなくてもいい」という怠惰
「自分がやりたくないことも、やりたいって思う他人がいるはず」という傲慢
この感情と、紙一重なんです。
コインの表と裏というか。
「私一人で頑張らなくていいんだ。」がいつの間にか、
「私がやりたくないんだからやらなくていいでしょ。」
「誰か助けてくれる人がいるはずでしょ。」
という怠惰や傲慢に、変化しちゃうんですね。
実際に変化しちゃってるスピリーダーさんはたくさんいます。
そんなスピリーダーさんを見習ってしまうと、あっという間に
自己愛だけが肥大化した、自分勝手な人間の出来上がり。
スピーリーダーさんはそれでも成立するんですよ。
ある程度の支持者がいてくれるので…。
でも一般人が同じことをしてしまうと、あっという間に助けてくれる人がいなくなります。
「ありのままの自分」のはずが、「傲慢で怠惰な自分」にいつの間にか変わっちゃってることがあるので、要注意です。
この世は自分ひとりの世界という考えは分離が進む危険性が
スピリチュアル界隈でよく言われる、
この世界は自分が作っていて、自分の考えが投影されているだけ
つまり全ては自作自演
という論。
まあ、この論は私も好きです。
要は
自分の心持ち次第で、この世界もバラ色に変えられる
自分の人生には自分で責任を持つ
自分がすべて創り出しているから、自分の人生は自分で変えていける!
という非常にパワフルな考え方だと思います。
この「他人も他のものも、全ては自分の投影」って一見すると、「世界の全ては私」という統合論に見えます。
でもね、実は
「世界の全ては私」という考え方は、逆に他人との分離を進めることがあるんです。
「世界の全ては私」だから、「私がご機嫌でいること、それが一番大切」って言いますよね。
「他人の目なんて気にしない」って。
全く仰る通りで、
「全世界の人が、自分で自分をご機嫌にできたら、世界は平和になる。」
もっともな気もします。
でも大切なのは、
この世は自分の投影だけど、
自分ひとりってわけじゃない!
と、自覚することなんですね。
これを常に意識してないと、他人と自分の分離が大きくなっちゃうんですよ。
量子力学の世界でも、人が観察してはじめてエネルギーは波状(目に見えない状態)から粒状(物質化)するって言われてますよね。
この論から言うと、自分が意識したとき、他人も初めて存在するってことですね。
そりゃそうなんだけどさ、実際問題
「私が認識しなかったら、目の前の人はいないと一緒。」
ではないでしょ。
当たり前ですが、目の前にいます。
さらに「目の前にいる人は、結局は私。」ってスピ論。
一つの魂が分かれてこの世に生まれてきてるので、もとは一緒の生命体…
とはいっても、
この世では他人=自分じゃない。
高次元から見ると一つかもしれませんが、肉体が存在するのはお互い分離した三次元の世界です。
高次元で一つだった魂が、わざわざ分かれて別々の肉体に宿り、この世に生まれてきてるんです。(突然スピの話ですみません)
わざわざこの世に「分離」を選んで生まれてきてるんですよね。
これってなぜかというと、
- それぞれの魂が、別の体験を通して成長していく
- 自分の他人(分離)の中に共通する神(統合)を感じ、お互いに精神性を向上する
こんな理由だと私は思ってます。
分離を通して、お互いが成長し、いずれまた統合を目指すというイメージです。
そう考えるとね、
この世は結局私の投影でしか無いから、他人の目は関係ない
私がご機嫌でいることが一番大事
って考え方は、極端すぎなんですよね。
わざわざ他人同士に生まれて、その関わり合いの中で、自分らしさを表現したり、他人との関係を深める。
分離の関係を通して、最終的には一つの大きな魂の成長につながる。
それなのに、「私が一番大事」って、極端になるとエゴになるんです。
要はどんなときでも、自分優先ってことだから。
「自分を一番大切にする」って大切ですが、人と一緒に生活する以上、
自分を優先することもあれば、
他人を優先することもある
両方あるのが自然なんです。
自分がご機嫌になるために、
他人に助けてもらってもいいし、
他人に迷惑をかけちゃってもいいし、
他人の目なんて気にしなくていいし、
それに罪悪感を抱く必要は無い。
目の前の人が機嫌が悪くても、悲しんでいても、それでも
自分はどうしたい?
と、問いかけ、それでも自分のしたいことをしたい!と思ったらそれを優先する。
自分を内観して、常にどう思ってるのかを観察して、それを実行する。
そこに他人は関係ない。
見つめるのは常に自分の心だけ。
だから上記の状態って、ちょっと違和感を感じませんか?
なぜなら、他人という存在を思いっきり無視してるから。
他人は自分は同じ存在と言いつつ、他人を思いっきり分離してるんですよ。
究極の分離だから不自然なんですね~。
もちろん今までの人生で、
「他人の気持ちを優先して、自分の気持は二の次。」
こんな人は、自分の気持ちを優先することが大切です。
でも、「自分の気持だけ優先する」んじゃないんですね。
※↑ここを勘違いしている人が多い気がします!
状況によっては、「他人の気持ちを優先したり」「他人のために動いたり」、そんなことが自然と起こります。
だから世界を自分だけにして、他人の目を一切気にしないってすんごくすんごく不自然なんです。
自分を優先することもあれば、他人の気持ちを優先することもある。
魂が分離して生まれてるからこそ、それが普通です。
他人を優先する自分だってありなんですね。
それが「自分の心に従って、その気持を優先する」ことを大切にするがあまり、それしか選択できなくなると、
「他人を優先する自分を否定する」ってことになります。
隠れ自己否定をしてるんです。
これ、自己受容の観点から言うと、違うんですよね。
自己受容って、「自分の気持を自覚して、どんな自分にもOKを出す」ってことだから、
ときに他人の目を気にしちゃったり、
ときに自分の気持を後回しにしちゃったり、
そんな自分もOKってこと。
ただ、自分の気持の中で、
「私は本当はこうしたいんだよね。でも今は、人の気持を優先する方を選ぼう。」
って自覚していれば、後はどんな選択肢を選んでもいいんですね。
自分を優先しても、他人を優先しても、要はどっちでもいいんですよ。
自分の気持を自覚した上で、自分で選択してるんだから。
自分の気持をいつでも最優先にしなきゃいけないってことじゃないんです。
でも、スピリチュアルリーダーが、
自分のワクワクした気持ちに従って、そっちを大切にしてる
ってそんな姿を見ると、「ああ、自分もそうしないと、キラキラした世界に行けないんだ!」って頑張り屋さんほど焦っちゃうと思うの。
しかもそれが「幸せになるコツ」って言われちゃうと、そうしなきゃ!って思っちゃうよね。
でも決して、そんな事ないです。
自分だけ!という超分離的な考え方と、自分を大切にするってこと
これもコインの裏表、つまり紙一重だと思ってくださいね。
ワクワクすることが欲の追求になることも
これもスピ界では常套句。
「わくわくすることをしましょう!」
ワクワクって、ホッとすることとか、自分がリラックスすることとか、そういうことも含まれます。
お風呂に入るとか、静かな部屋でアロマオイルを炊くとかも、含まれますね。
要は自分が「気持ちいいな~」って思うことを、日々行うってこと。
でもスピリチュアルリーダーが、次々と派手できらびやかなことをしていると、先述したように「私もそうなりたい!」ってそれを真似ようとするんですね。
お風呂にゆっくり入ってじんわりと幸福感を感じるのは、オキシトシンという幸せホルモンのおかげ。
でもみんなに注目をされるとか、華やかなステージに立つときは、ドーパミンが分泌されている可能性があります。
ドーパミンは何か報酬を得られるときに分泌される快楽ホルモンで、やる気や快感を感じます。
オキシトシンよりもドーパミンが分泌されることのほうが刺激的なんです。
強い快感を得られるので、「もっと、もっと!」となりやすい。
ドーパミンはおいしいものを食べたり、金銭的な報酬を得るときにも分泌されます。
ワクワクすることをする!
という基準だけだと、いつの間にかドーパミンの虜になる可能性もあるんですよね。
セミナーに出たり、スピ仲間と話すとすごくワクワクして夢が広がる!
華やかな世界で活躍したいとか、
自分には不思議な力があって人を導けるんだとか、
そんな感情に支配されると、日常が色あせて見えることがあります。
「自分の生きる世界は、本当はここじゃない」
「もっともっと、セミナーとかに行きたい!」
そんな気持ちで日常から離れたくなったら、日常との分離が始まっちゃってるかもしれません。
本当に幸せな人は、日常生活でもワクワクを見つけられる人です。
ステージに立たなくても、スピ仲間と話してないときも、「幸せだなぁ」って感じられる人です。
人は快楽ホルモン(欲)に惹かれやすいってことも、覚えておいたほうがよさそうです。
スピ界がファン産業になっていないか??
スピリチュアルの陰の部分を紹介しましたが、これらはあんまり語られてないですよね。
その理由は、最近のスピリチュアル界が、「ファン産業」になってるから。
全員がそうではありませんが、自己発信してファンを集め、ファンからお金を回収して成り立っているリーダーさんがたくさんいますよね。
スピリーダーさんも支持者を減らさないよう、「自分のキラキラ生活の発信」をし続けます。
もちろんスピリーダーさんの提唱するメソッドが素晴らしかったり、生き方が参考になるから、セミナーやセラピーを受けたい!という考え方はわかります。
そこにお金を払うのは当然でしょう。
私も「すべて無料で提供してほしい!」という考え方は嫌いです。
以前、自分の体験を元に、わかりやすく体系づけた教科書を販売したスピリーダーさんに
「結局はカネ目当てか!」
と、批判する人がいましたが、すごく残念だと思いました。
無料でなんでもかんでも欲しいという考え方は、
「自分には何も無い。」「自分は損したくない。」
という心理から発しています。
でも無料でほしいと思えば思うほど、「自分の手元にはなにもない」「自分が損をする」という現実が引き寄せられます。
そのため、自分の人生に影響を与えてくれるような貴重なものに対しては、お金という対価を払うほうが後の自分の豊かさにつながるんです。
ただそうはいっても、現在のスピ界は、ピラミッド構造のファン産業になってるという側面があります。
どんどん高額のセミナーに参加する。
ワークショップやイベントに欠かさず参加する。
スピリーダーさんが販売した波動が上がるアクセを買う!
自分が楽しんでいるものの、お金がジャンジャン消えていく。
気が付いた時にはすってんてん。
「お金は循環させる!使えば使うほど入ってくる!」
って言ってる人もいますが、「いつの間にか巻き上げられる一方」ってこともあるんです。
スピリーダーさんの言うことは確かに参考になります。
でも自分の人生は、誰かのファン(サポーター)になるためのものではありません。
自分の人生をいつの間にか、スピリーダーさん色に染まってないか、一歩引いてみることも大切です。
「アレ?おかしいな?」
と思った時は、一旦参加を止めてみるのもおすすめです。
スピにも陰と陽の両面がある
世の中のものには、すべて「陰陽がセット」であるといわれてますよね。
スピリチュアルは精神性の向上がメインなので、まるで「陽」しか存在しない気がします。
でもどんなに精神性が高い人でも、しょせんは人間。
陽がいつの間にか「陰に転じている」という可能性があるんです。
スピリーダーさんも、本人が気づかない必ず盲点があります。
それでこそ、人間である証です。
盲点があるから、人はどんどん成長していけるんです。
でもスピリーダーさんが提唱するのは、
平和、自己実現、精神性の向上、感謝、社会貢献…
このような美しい言葉です。
でも社会貢献や奉仕といった思想の裏に、「自分が稼ぎたい」「お金が欲しい」「人に注目されたい」という欲が眠っていることもあるんです。
私も実際にお会いしたスピリーダーさんで、
「自分はどんどんクリアになってる。」
と自負している方がいました。
でもその方は、他人を大切にせず、自分だけを大切にする…という方でした。
また別の、「この世で苦しんでいる人に、自分の持っている知識を提供したい。」というスピリーダーさんも、実は
「年収1億円超えたい。儲けたい。」
という裏の気持ちがあることに、自分で気づいていませんでした。(私はその方の言葉の端々や、行動で気づきました。)
素晴らしいことをしていると自負してる分、自分を客観視しにくいんですね。
自分は間違いないという視点でしか見れないので、いつの間にか道を外れて、軌道修正できなくなります。
人は間違えるし、欲に弱いし、怠惰になりやすい。
でも成長し続けたいと考える愛おしい生き物です。
あなたがもし、「スピリチュアルを勉強してるのに、何か苦しい。」って思ったら、いったん離れてみることも一つの方法です。
この世は三次元と呼ばれる波動の低い世界です。
でもなぜあえてその世界に私たちが生まれてきているのか、
それを考えたとき、
この世と魂の世界との融和が起こると思うんです。
現実世界だけでも極端だし、スピリチュアルに寄るだけでも極端。
その間のバランスをとることが、大切になってくると私は思っています。
スピリチュアル界に没頭して、日常生活や現実世界をおざなりにするということが、私にも起こりました。
スピリチュアルの世界にいて、苦しみを感じるのは、日常生活と分離していることへの警告かもしれませんね。

脱スピした私ですが目に見えない世界は信じています
現在のスピリチュアル界は、「陰」の部分をあえて隠して、「陽」が強く出ちゃってる気がします。
それもこれも、ビジネスとして旨味のあるジャンルだから。
そんな風に私は感じています。(もちろん私だけの見解なので、間違ってるかもしれません)
ただ、だからといって、目に見えない世界(精神世界、エネルギーの世界)は無い!と言ってるわけじゃありません。
何でもかんでも「科学的に証明できること」が全てだとは思えないし、人間がすべてを解明できるなんて驕りだと思います。
現に私も、何か迷うことがあったら、電話占いで鑑定師さんに相談しちゃうしw

やっぱり自分に無い能力を持ってる方には憧れますしね。
現に1分いくらとお金を払ってる分、的確なアドバイスがもらえるし、こちらも依存しすぎないで済みます。
ちゃんと適切な距離を置いて、付き合えるから私は好きなんです。
ちょっと話がそれましたが、そういった理由から、私は今でも精神世界を大切に思っています。
ただそれと同時に、この現実世界のことも大切に思っているんです。
要は両方のバランスをちゃんと取っていくことですね。
いっときのワクワクにはまらないよう、少しでも違和感を感じたら、一歩ひいて見てみてくださいね。

