田知本遥は姉の田知本愛と仲が悪い??体罰・ドーピング問題を乗り越え金メダル! | いまニホ

田知本遥は姉の田知本愛と仲が悪い??体罰・ドーピング問題を乗り越え金メダル!

スポーツ

リオオリンピック女子柔道70㎏級で、

女子柔道選手初の金メダルを

獲得した田知本遥選手

苦難の末に手にした金メダルに、

涙していました…!

 

田知本遥選手のお姉さんも

78㎏超級の柔道選手で、

田知本愛選手。

 

姉妹でのオリンピック出場を

果たすことはできませんでしたが、

お姉さんの分も頑張りました。

詳しく見ていきます。

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田知本遥のプロフィール

田知本

引用:http://matome.naver.jp/odai/2134382116925119901

生年月日:1990年8月3日(26歳)

出身:富山県

身長:168㎏

血液型:A型

出身高校:小杉高校

出身大学:東海大学

所属:綜合警備保障

田知本遥選手は小学校2年生の時から、

2歳年上のお姉さんの愛さんとともに

小杉少年柔道倶楽部で柔道を始めました。

 

田知本愛さんも柔道をしていて、

78㎏超級の選手ですが、

お姉さんもかなり柔道が強い選手です。

 

でも実は、田知本遥選手は

柔道は嫌だったようで、

ピアノをしたいと親に言いましたが、

聞き入れられず、やむなく

柔道を続けることになったといいます。

 

お父さんの又広(やすひろ)さんが

中学生の時に柔道をしていて、

お父さんからも柔道を教わっていたそうです。

 

田知本遥選手はいい加減なことは

嫌いな性格だったそうで、

嫌々?ながらも全力で柔道に取り組んで、

好成績を残すこともあったそうです。

 

柔道は小学校だけで、中学ではやめて

陸上競技をしたいと本人は

思っていたようですが、お父さんがなんでも

中学入学前にお姉さんの愛さんが所属する、

中学校の柔道部に見学に連れて行ったそうで、

すでに田知本遥選手が入部するお膳立てが

出来上がってしまっていたとか…。

 

お…お父さん…!!( ノД`)

 

そしてやむにやまれず、

柔道を続けることになったといいます。

 

しかし中学で柔道にのめりこんでいき、

1~3年生まで、全国中学校柔道大会で

上位に食い込む好成績。

実は小杉中学には女子柔道部が無く、

男子に交じって柔道をしていたことで、

練習の質があがり、柔道の技も

磨かれていったようですね。

 

高校時代は1年生で

インターハイ団体で優勝、そして

2007年2月のベルギー国際大会で

北京オリンピック銀メダリストの選手を

見事打ち破り、

お姉さんの愛さんとともに優勝しました。

 

高校のインターハイ個人戦は、

3年生の時に優勝を果たしました。

そして78㎏超級の

塚田真希選手にあこがれて、

2009年に東海大学に入学。

 

大学に入学してからも好成績を残しましたが、

2012年のロンドンオリンピックでは

7位にとどまり、その真価を

発揮することができませんでした。

 

2013年に綜合警備保障に所属して、

社会人になり、そこでも

出場する大会では常に上位に食い込む

という好成績を残しています。

2015~2016年の大会の成績は

2015年4月 選抜体重別 姉妹で優勝

2015年7月 グランドスラム・チュメニ 優勝

2015年10月 グランドスラム・パリ 優勝

2016年2月 グランドスラム・パリ 2位

2016年4月 選抜体重別 優勝

 

体罰にドーピング、どん底の4年間

田知本遥選手の選手生活は、

順風満帆…

というわけではありませんでした。

ロンドンオリンピックから今回の

リオ五輪までの4年間は

田知本遥選手にとってどん底を味わった

4年間だったそうで、

体罰とドーピング違反問題がありました。

 

まずは体罰告発。

2012年末のロンドンオリンピックに

出場した選手の強化合宿で、

監督やコーチから体罰などを受けた…

と日本オリンピック委員会に

女子柔道選手15人が告発文を提出した…

というんですね。

 

パワーハラスメントと

言えるような暴言と体罰で、

脅しや容姿についての

暴言まであったそうです。

 

もちろん、選手として強くなってほしい…

という指導側の気持ちだったんでしょうけど、

完全に逆効果だったのでは…?

といった内容です。

 

体罰を全日本柔道連盟に訴えたのは、

田知本遥選手と言われています。

(噂です)

しかし、監督は

連盟から注意を受けたそうですが、

一向に変わらず、選手たちは

日本オリンピック委員会に訴えた…

というわけです。

 

実は田知本遥選手は、連盟に訴えた後に、

監督から謝罪があって、

両者で和解したらしく、

日本オリンピック委員会に訴えた

選手15名の中には入っていないそうです。

 

結局、2013年1月に

監督は責任をとって、監督を辞任しました。

ちょっと後味の悪い結果に

なってしまったんですね。

 

そしてドーピング違反。

2015年2月ドイツの

グランプリ大会に出場予定でしたが

使用した市販薬にドーピング規定の

違反物質が含まれていたため、

欠場という事態になってしまいました。

 

鼻炎気味だった同じく

柔道選手の緒方亜香里さんが持ってきた

市販薬を田知本遥選手も服用しましたが、

服用後にドーピング規定違反物質が

含まれていることに気づき、

田知本遥選手がコーチに

相談したそうなんですね。

 

この時はドーピング違反…

という事ではなかったのですが、

ドーピング違反の恐れがある

ということで自己申告して欠場しました。

 

しかし、それでめでたしめでたし…

ではなくて、実は

全日本柔道連盟はケガや病気以外での

欠場はペナルティーを科しているそうで

それが結構重いものでした。

 

そのペナルティーの中でも

重いものは強化指定除外というもので、

解除されると、全日本選抜への

出場がダメになり、

世界選手権の出場ができなくなる…

ということを意味していました。

 

この指定除外期間が長引いた場合、

リオオリンピックの出場もできなくなる…

という事態にまでなるそうで、

このペナルティーがどうなるか、

注目が集まりました。

 

この時3月の全日本柔道連盟強化委員会で

決定された処分は「警告」

処分は「注意」「警告」「登録停止」「除名」

の順ですので、比較的軽くてすみました。

 

でも、田知本遥選手も

すごく落ち込んだそうで、きっと

処分が下されるまでは

気が気じゃなかったと思います。

 

この処分によっては、

リオオリンピックの金メダルは幻…

になった可能性もあったので、

警告で本当によかったですね。

 

柔道の面でも、2012年の

ロンドンオリンピック後は

勝てない状態が続き、

ドーピング違反の件も相まって、

柔道人生最大のピンチだったそうです。

 

そこから今回は見事に

復活を果たし、金メダルを獲得しました。

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姉の田知本愛とは仲が悪い??

さて、同じく柔道をしていて、

好成績を残している姉の愛さんですが、

姉妹でよくケンカをするそうです。

田知本愛

引用:http://www.u-tokai.ac.jp/academics/undergraduate/physical_education/news/detail/30.html

生年月日:1989年1月27日

出身:富山県

身長:168㎝

体重:110㎏

血液型:B型

出身大学:東海大学

所属:綜合警備保障

姉妹ケンカ後に1ヶ月以上口をきかなかった…

なんてエピソードもあって、

「仲が悪いの??」と思いましたが、

どうやらそうではない様子。

 

大会前に姉妹ケンカをすると、

よい成績を残すというジンクス?

まであるようで、

他愛のないことでケンカをするみたいですね。

 

2012年5月には、二人の仲で

一番ピンチの時期だったのか、

田知本遥さんが

オリンピック代表になったにも関わらず

お姉さんの愛さんは落選。

この時は半年くらい口をきかなかったそうです。

 

実はお姉さんはこの時期、

世界ランキング1位でしたが、

選抜体重別で準決勝で敗退して

代表入りを逃してしまったんですね。

 

お姉さんは茫然としていて、

田知本遥選手も

声をかけることができなかったそうです。

お姉さんは悔しかったでしょうね…。

 

何となく気持ちがわかるのは、

妹の遥さんは関係ないと知りつつも、

悔しくてどうしても気持ちを

割り切ることが

できなかったんじゃないでしょうか。

 

田知本遥選手もその気持ちがわかって、

自分から声をかけることが

できなかったんだと思います。

 

しかし、その後、田知本遥選手が

ドーピング違反問題で落ち込んだ時は、

そばにいてアドバイスしてくれたそうで、

やっぱりとてもいいお姉さんみたいです。

 

実は、どん底だった田知本遥選手を

救ったのはお姉さんの叱咤激励。

落ち込んでいた時に

お姉さんから叱られて、

目が覚めたそうです。

 

そしてその後は

ネガティブな思いと闘い続けて

見事復活した田知本遥選手。

お姉さんの存在が

本当に大きかったみたいですね。

 

リオオリンピックでも、

姉妹で出場したいとお姉さんは言ってましたが、

代表を決める試合で

左ひざのけがの影響もあって、

残念ながら敗退。

夢を果たすことができませんでした。

 

しかしそれでも、今回の愛さんは

すぐに気持ちを前向きに変えたそうで、

リオ五輪も応援に行ったようです。

なんだか安心しました。

 

田知本遥選手もきっと

代表落ちしたお姉さんのことが

気がかりでしたでしょうし、

誰よりもお姉さんの代表入りを

祈っていたと思うんですね。

 

そんな田知本遥選手の気持ちが通じたのか、

今回は半年以上口をきかない…

という事態にはならず、しっかり

応援してもらえたことで、

田知本遥選手のメンタル的にも

よい影響があったと思われます。

 

そんなお姉さんのことを

田知本遥選手はこのように言っています。

双子の姉妹のように同じ道を歩んできました。

姉はコツコツと努力して欠点を直していくタイプ。

『負けないくらい練習しよう』と思わせてくれる存在であり、いつも刺激を受けてきました。

階級は違いますが、ライバルのように意識してきました。

団体戦で同じチームとして戦う時は心強く感じます

引用:http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160811-00000009-sasahi-spo

時にケンカをしてしまいますが、

お姉さんとともに

歩んだ柔道人生だったようです。

 

まとめ

今回、見事リオオリンピックで

金メダルを獲得した田知本遥選手ですが、

やはり同じく柔道をしている

愛さんの存在も大きかったのだと思います。

 

年齢的に姉妹で

次のオリンピックは無理かな…

とは思いますが、

お姉さんの夢でもあった

金メダルを獲得したことは、

愛さんにとってもとてもうれしかったらしく、

観客席で目を真っ赤にしていました。

 

どん底を乗り越えて手にした金メダル、

田知本遥選手もきっと

感慨深いのではないかと思います。

 

本当におめでとうございます!

 

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読んでくださってありがとうございました。

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