テニス選手の伊達公子さんが、
ドイツ人でありレーサーの
ミハエル・クルムさんと
離婚したことがわかりました!
とても仲のいいご夫婦だった
お二人に何があったのでしょうか?
しかも離婚の直前の8月4日には
「クルムのパン屋さん」(勝手に私が命名)
をオープンしていて、「なんで??」と
不思議がいっぱいの今回の報道です!
詳しく見ていきます!
伊達公子のプロフィール
生年月日:1970年9月28日
出身:京都府
身長:163㎝
体重:53kg
出身高校:園田学園高等学校
6歳の時にご両親のテニスに付き合って、
テニスを始めました。
高校はテニスの名門校である
兵庫県の園田学園高等学校に進学して、
1988年のインターハイで
シングルス・ダブルス・団体の
3種目で優勝しています。
1989年にプロテニスプレイヤーに転向。
1994年にグランドスラムでベスト4に入ります。
1995年には世界ランキング4位にまでなりましたが、
1996年9月に現役を引退します。
引退時には世界ランキング8位でした。
2001年12月1日に
ミハエル・クルムさんと結婚して、
当初はクルム公子と名乗っていました。
その後、クルム伊達公子に改名しています。
ミハエル・クルムさんの勧めもあって、
2008年4月に、
37歳でテニスの現役復帰をします。
2013年の世界ランキングは54位、
2014年の世界ランキングは116位。
2016年2月に左膝半月板の
内視鏡手術をされたそうですが、
復帰するためには
再手術が必要ということで、現在は休養中です。
ミハエル・クルムのプロフィール
生年月日:1970年3月19日
出身:ドイツ
身長:183㎝
体重:70㎏
血液型:A型
14歳の時にドイツのフォーミュラ・フォードで
レーサーとしてデビューして、
2年目にはシリーズのチャンピオンになりました。
1994年に来日して、
F3選手権でシーリーズの
チャンピオンになって活躍します。
2001年にアメリカの
レースに参戦しましたが、
その後再び日本のレースに復帰します。
その後は日産のワークスドライバーになりました。
日本での生活が長く、日本語が相当上手なようで、
バラエティ番組で100万円を獲得した時も
「郵便局に貯金する」
と言っていたそうで、
もはや日本人じゃないか…
(;・∀・)と思うような方です。
不妊治療をしていた?
お二人の間にお子さんはいません。
伊達公子さんは
31歳の時に結婚をしましたが、
3年たっても子供ができないので、
不妊治療に踏み切ったそうです。
検査結果は夫婦ともに異常なしなのに、
治療の甲斐なく子供は授からず…。
人工授精を5回、
顕微授精をしても無理だったようです。
私の友人でも
不妊治療をしている方がいますが、
女性にとって相当の負担になります。
痛みや苦痛も伴う上、授からなかったときに
「今回もだめだったか…」
と精神的に落ち込んでしまうみたいで、
友人は辞め時を迷っていました。
伊達公子さんは5回も
人工授精を行っているので、
子供が本当にほしかったんでしょうね…。
伊達公子さんは
37歳で現役復帰していますが、
その時にもかなり迷ったそうです。
といいますのも、プロ復帰ということは、
ハードなトレーニングに加え、
世界の大会を回るという
非常に厳しい生活になります。
プロ復帰と身体に負担を強いる不妊治療とは、
とても両立することはできません。
不妊治療は排卵のタイミングなどが重要なので
自由に海外を行き来したりはできないんです。
子供も厳しい…という年齢に差し掛かって、
伊達公子さんは相当落ち込んだそうですが、
ミハエル・クルムさんは
そんな伊達公子さんを
「僕は子供ではなく、キミコと結婚したんだ。君がやりたいことをすべて我慢するのは、僕は望んでいない」
と励まし、結果として
伊達公子さんは現役復帰の道を選びました。
現役引退直後は、ミハエル・クルムさんが
テニスに誘っても拒否するほどでしたが、
テニスコートに戻ってきた
伊達公子さんはやっぱり輝いています。
その裏には、ミハエル・クルムさんの
伊達さんを思う気持ちがあったんですね。
離婚の原因は?
伊達公子さんとミハエル・クルムさんの
仲の良さは知られていて、
子供や現役復帰のエピソードを見ても、
夫婦の絆の強さがうかがえます。
その二人がなぜ離婚しちゃったの??
と非常に不思議なんですが、
理由は
2人の人生に変化が出てきたことにいつしか気づき、この先のまだまだ長い人生を考えると、別々の道を歩むことがいいのではないかという結論に至った
寂しさは当然感じますが、お互いがHappyでより良い人生を送るための決断
引用:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160926-00000149-spnannex-spo
と伊達公子さん自身が語っています。
嫌いとか、子供ができなかったから…
という原因ではなく、
お互い進む道が違うと
感じたからでしょうか。
お二人の関係は今でも良好で、
2016年も一緒に東京で生活していて、
食事も共にしていたそうです。
現在伊達公子さんは休養中で、
むしろ2016年は
お二人で過ごす時間が長かったんですね。
しかしそんな中で
離婚を決めたということは、
やはりお二人で夫婦として過ごすよりも、
友人として接するほうが
違和感がないという関係に
変化したということでしょう。
現役復帰をして忙しくなった伊達公子さんと、
ミハエル・クルムさんの間で
すれ違いが多くなったことが
離婚の原因とも見られているようですが、
どちらかといえば
関係の変化のような気がします。
お互いを尊重しあった結果、
離婚という結論に至ったのではないでしょうか。
もちろん夫婦であることで
高めあうこともできますが、
一度関係を見直して、
別々の道を歩むことも一つの選択肢ですね。
お二人の仲の良さを見てると、
残念な気持ちはぬぐえませんが、
これからのお二人を応援したいです!!!
…と言いたいのですが、
クルムのパン屋さんはどうなるの???
フラウクルムブレッドアンドコーヒー(FRAU KRUMM BREAD & COFFEE)
実は伊達美紀子さんは2016年8月4日に、
恵比寿に
「フラウクルムブレッドアンドコーヒー(FRAU KRUMM BREAD & COFFEE)」
というベーカリーストア(パン屋さん)
をオープンしています。
このパン屋さんは
ドイツのパンであるプレッツェルや
カイザーロール、クロワッサンなどの
パン類のほかに、いれたてのコーヒーなどの
飲み物もそろっていて、カフェ形式のお店です。
店内はすっごくおしゃれなんですが
どこか素朴で、控えめな印象。
おいしいドイツのパンを象徴するような、
落ち着いた雰囲気です。
あら素敵…★というパン屋さんなんですが、
問題(?)はそのお名前。
「フラウクルム」っておもっきし
ミハエル・クルムさんのお名前が
入ってるの!(;・∀・)
これいいの??
はじめから「公子のパン屋さん」(ダサッ!)
とかにしてたほうが、
良かったんじゃないの???
なんてお節介にも思っちゃいました。
でも、きっと店名の変更とかは
かなり大変なんでしょうね…。
カフェ開業の計画は
おそらく離婚の話に至る前に
されていたと思いますし、
変更できなかったのでしょうか。
でも思うに、伊達公子さんが
ドイルのパンを提供するカフェを開いた…
ということは、離婚云々関係なく、
ドイツのパンとコーヒーを
愛していたからでしょう。
(コーヒー豆も伊達公子さんが選んでいます)
そしてお名前も変更しないのは、
離婚はしたものの、
絆の強かったミハエル・クルムさんの
お名前を残すことに何の抵抗も
感じていないからではないかな~と思います。
まとめ
伊達公子さんが離婚したニュースは残念だな…
と感じたんですが、でもお二人は
自然な形で離婚に至ったみたいで、
それはそれでよかったのかな、と思います。
離婚直前に旦那の名前入りのパン屋を
オープンしたことも
「なんで??」
とはじめは不思議でしたが、
それも自然な形なんでしょうね。
店名の変更もなさそうですし、
このままのスタイルで営業していくのかな。
こんな夫婦の別れ方もあるんだな…
と感じる今回の報道でした!
でも伊達公子さん、まさか
休業→そのまま引退→パン屋さんを本格的に展開
…なんて、
そんなことにはならないですよね??(;´・ω・)